ゆとりある精神について考えてみました。小林正観さんその5 幸せ研究家
正観さんは、稀有な幸せ研究家だったと思います。
私たちは、「幸せは努力して自分で掴み取るもの」と教えられて育ちました。
もちろん努力することは大切なことなのですが、
どこまでいつまで努力すれば、幸せを掴み取ることができるのでしょうか。
そんな疑問に、淡々とわかりやすく答えてくださいます。
幸せメガネ
《正観さんの著書から引用しました。》
私は、長い間、いろんな相談に来る方に
「不幸や悲劇は存在しない。そう思う心があるだけ」といい続けて来ました。
実はこの言葉は、半分の真実しか伝えていないのです。
私が思うに、「不幸や悲劇は存在しない。」かわりに、どうやら
「幸せという名の現象も存在しない」ようなのです。
例えば、誰かに「幸せというものを見せてください」と頼んだとしましょう。
「幸せ」というものが存在するなら誰が見ても「それが幸せだ」というはずです。
ですがたぶん、そんなものは存在しないでしょう。
伊藤守さんという方が書かれた本に「2001のしあわせ」というのがあります。
なかには伊藤さんが感じた「幸せ」が2001個、箇条書きに並べられています。
・焼きたてのパン とか
・キューピー3分間クッキングのテーマ曲 とか・・・・・・
全て日常的に目の前にあるものです。その一つ一つが心を明るくしたり、
安らげてくれたり、ほのぼのさせてくれたり、ホッとさせてくれるもの(現象)です。
ですが、それは「幸せを感じさせてくれるもの」であって、「幸せ」そのものではありません。
伊藤さんはそれを言っているのでしょう。
どこか遠いところに「幸せ」というものがあるわけではなく、
実は「幸せ」は目の前に転がっている「日常」なのだと
その日常を「幸せ」と 感じる 心があるかどうかなのです。
「不幸」や「悲劇」も存在しないかわり、「幸せ」も存在しない。
あるのは、目の前に存在する現象を「幸せ」と思う心か、
「不幸」や「悲劇」と思う心か、だけ。
《正観さんの著書から引用しました。》
私たちは、幸せメガネをいつもかけていたいものです。